日本とシンガポール 外交関係樹立60周年

2026年、日本とシンガポールは外交関係を樹立してから60年を迎えました。先日、シンガポールのローレンス・ウォン首相が初来日し、高市早苗首相との首脳会談が行われました。今回の60周年のテーマは「Co-imagine, Co-create, Co-evolve」。日本語にすれば「共想、共働、共進」です。
そこで、あらためて日本とシンガポールの関係について整理してみたいと思います。
(引用元:Singapore PM sends Takaichi congratulatory letter to mark 60 years of diplomatic ties with Japan | The Star
https://www.thestar.com.my/aseanplus/aseanplus-news/2026/04/26/singapore-pm-sends-takaichi-congratulatory-letter-to-mark-60-years-of-diplomatic-ties-with-japan)
日本とシンガポール 外交関係樹立60周年
著者:シンガポールgramフェロー Malay Dragon
公開日:2026年 08月03日
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節目の年に動いた外交

会談では両国の関係を「戦略的パートナーシップ」と位置づけ、共同声明がまとめられました。柱は五つで、自由貿易・経済協力の推進、AIや半導体を中心とするデジタル協力、安全保障、脱炭素、そして人的交流です。
AI分野だけを見ても、シンガポール側は今後5年間で約1,240億円を研究に投じると表明しています。一方、日本はAIのガバナンスや安全性の確保で連携を求めました。お互いの強みを持ち寄る形の協力です。
私が知っているシンガポール
シンガポールに初めて着いたのは、もう30年以上前になります。
チャンギ空港を出た瞬間の、あの蒸し暑さと緑のにおいは今でも忘れられません。当時のシンガポールはすでに清潔で整然としていましたが、今ほどの高層ビル群はありませんでした。マーライオンの前で写真を撮って、それで「観光した」気になっていた──そんな時代でした。
12年間そこで暮らして感じたのは、シンガポールという国の底にある「生き残ろうとする意志」の強さです。
面積は東京都の約半分。天然資源もなく、水さえ輸入に頼っています。それでも今、一人あたりのGDPは日本の2倍を超えています。その理由はいくつかありますが、ひとつは「使えるものは何でも使う」という徹底した実用主義です。英語を公用語にしたのも、外資を引き込んだのも、すべてその延長線上にあります。
日本とシンガポールが60年かけて築いてきたのも、そうした関係性だと思います。最初は日本からの投資と支援から始まりましたが、今は「対等なパートナー」という言葉のほうがむしろ自然に響きます。
変わっても、変わらないもの
私がシンガポールを離れてマレーシアに移ってからも、年に一度か二度、仕事や用事でシンガポールへ渡ります。コーズウェイを越えるたびに、あの12年間のあれこれが頭をよぎります。チャイナタウンの雑踏。ラッフルズ・プレイスの高層ビル群。ホーカーセンターで食べた海南チキンライスの味。
街は変わりました。でも、どこかにある「圧」のようなものは変わっていません。前へ進もうとする強い意志の力とでも言える、シンガポール独特の「圧」です。
今回の首脳会談の写真を見ながら、ふと思いました。
60年という歳月は、一人の人間の人生に近い長さであり、国と国の間にそうした時間が積み重なっているのは、決して当たり前のことではありません。摩擦もあり、食い違いもあったはずです。それでも続いてきた関係には、数字や声明だけでは表せないものが宿っていると感じます。
数字より大切なもの
AIや半導体の協力、自由貿易の堅持、安全保障の連携。今後の協力体制を語る言葉はどれも重いものです。しかし、日本とシンガポールの60年は、そうした政策の積み重ねだけでできているわけではありません。まだ就職して間もない私がシンガポールで社会人生活を送ったように、無数の人と人の関係が、時間をかけて強い地盤をつくってきたはずです。
「共想、共働、共進」の先にあるのも、結局はそこなのだろう──そう強く感じています。






















