ソ連から独立して約30年:エストニア105回目の独立記念日
エストニアの祝日のひとつ、2月24日の独立記念日。日本でいう建国記念の日にあたる。しかしながら、この日が持つ意味合いは日本のそれよりも大きい。エストニアの歴史は、周囲の大国からの支配と統治の歴史なしには語れない。さらには近年の世界情勢の影響もあって、今年の独立記念日は特別なものとなった。そんな国にとって大切な一日の様子を紹介する。
ソ連から独立して約30年:エストニア105回目の独立記念日
著者:エストニアgram fellow さえきあき
公開日:2023年3月12日
独立へのあゆみ
1918年2月24日に最初の独立宣言をしたエストニア。この日が現在のエストニアの独立記念日の由来となっている。当時ロシア革命を機に独立を宣言したエストニアは、2年にも及ぶソ連との独立戦争を経て、独立を勝ち取った。しかしながら、その後第二次世界大戦をきっかけにソ連の支配下に置かれ、再度独立を失うこととなった。ソ連統治下の時代は46年間続き、再び独立を果たしたのは1991年のことであった。
この日から未だ約30年しか経過しておらず、独立前の生活を経験した人は多い。それもあって、この日は国民にとって大きな意味合いを持つ。
国同士が陸続きのヨーロッパには、どこかの大国に支配・統治されてきた歴史を持つ国が複数ある。筆者の友人のポーランド人は「ポーランドも独立記念日は盛大に祝う。地図上から国が消えたことがあるから、国が存続していることを祝わなきゃ。」と言っていた。
独立記念日のイベント
首都のタリンでは独立記念日を祝うために様々な催しがされた。その中のひとつの軍事パレードでは、英国主導のNATO多国籍団の部隊や、エストニアで訓練中のウクライナ軍を含むエストニア国防軍が街中を歩いた。
The 🇪🇪 #IndependenceDay military parade is an integral part of today’s festivities. Great to see our @NATO #Allies and Ukrainian 🇺🇦 friends side by side with us. Smiles abound!🙂
— MoD Estonia (@MoD_Estonia) February 24, 2023
Photos by @Kaitsevagi pic.twitter.com/MEarAb0kiu
筆者の住む地域でも市の中心広場でセレモニーや市長のスピーチが行われていた。また、特別な日ということもあり普段よりカフェや飲食店が遅くまで営業しており、ちょっとしたお祭りのようになっていた。
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻に対する思い
昨年の2月24日は104回目のエストニアの独立記念日であるとともに、ロシアがウクライナへの侵攻を開始した日でもあった。ロシアの脅威を長年実感してきたエストニア人が独立を祝う日に、ウクライナがロシアから国を脅かされるというあまりにも対照的な日となった。
今年は、エストニアの首相であるカヤ・カラス氏がスピーチ内で以下のように述べていた。
「この1年で、エストニア国民の精神の偉大さがかつてないほどはっきりと示されました。私たちの国民は、攻撃的な隣人に占領されることがどういうことか覚えており、私たちの国民は、平和が必ずしも平和と自由を意味しないことを知っているのです。
中略
私は、戦争難民に支援を提供し、私たち全員の自由のために戦うウクライナを支援することを決断したすべての人々を誇りに思います。そして、どのような形であれ、エストニアの安全保障の防衛に貢献されている皆様に心から感謝いたします。」
現在、エストニアは国のGDPの1%にあたる予算をウクライナの支援に割り当てている。ロシアと国境を持ち、過去にその力に屈せざるを得なかったエストニアにとっては、ウクライナの現状は他人事ではないのだ。
(参考:インスタグラム https://www.instagram.com/p/CpDUXp5OtJE/)
(引用:ERR News https://news.err.ee/1608896516/kaja-kallas-we-will-not-surrender-we-will-not-give-up )
(引用:The Defense Post https://www.thedefensepost.com/2023/01/20/estonia-ups-ukraine-military-aid/ )
まとめ
国をあげて独立を祝うエストニアの独立記念日。めでたい日ではあるが、世界情勢も合わさり今年は特別感のある内容となった。日本にはない「独立」という歴史を盛大に祝うイベントは、エストニアにとって大きな意味を成すことであり、今年の記念日は近隣国がそれを脅かされていることに対して、独立国であることは奪われてはいけない民族としてのアイデンティティを強く認識する日になった。
ウクライナに一日も早く平和が訪れますように。