シンガポール政治に新たな時代 |リー・シェンロン首相の20年に幕
2004年に就任したリー・シェンロン首相(71)が2024年5月に辞任し、ローレンス・ウォン副首相(51)に指名権を委譲することが決まりました。リー首相は「建国の父」の理念を受け継ぎながら、徐々に開かれた政治システムへと改革を重ねてきました。教育投資による国力向上や、不確実な世界情勢への機敏な対応など、”先見の現実主義”で国を導いてきたと評価されています。一方で与党支持率の低下から、国民の多様な意見を汲み取る必要に迫られるなど、課題も残されました。
新体制の下で、リー首相の改革路線がどう継承されるか、ウォン新首相への期待が高まります。シンガポール政治に新たな時代が訪れようとしています。
「先見の現実主義」で国を導く リー首相退任で見えた課題
著者:シンガポールgramフェロー Malay Dragon
公開日:2024年 5月30日
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3回目の指導者の交代
シンガポールは1965年にマレーシア連邦から分離・独立を迫られ、「建国の父」で、今回辞任するリー首相の父であるリー・クアンユー元首相が建国しました。
1990年、リー元首相は退任して上級相に、前首相のゴー・チョクトン氏が首相職を引き継ぎました。
そしてリー首相が2004年に首相に就任して、ゴー前首相が上級相になっています。
今回の首相交代はそれ以来で、建国から3回目です。
ローレンス・ウォン副首相兼財務大臣が就任
次期首相のウォン氏は、2022年4月に、リー首相から後継者として指名されており、既定路線となっていました。ウォン次期首相は、2011年から国会議員として活動しており、リー元首相のもとで首席秘書官も務めていました。
また、政府が2020年1月に立ち上げた、新型コロナによるパンデミックを管理するための、多省庁からなる委員会の共同議長でもあり、その時に功績を残しました。現在51歳です。
ウォン氏は就任に先立ち「謙虚に、そして深い使命感を持ってこの重責を引き受ける」と述べました。
シンガポールは、「第4世代チーム」と呼ばれる、若い閣僚グループのリーダーによって政治が引き継がれることになりました。
リー首相の苦悩
カリスマ性のある初代首相、それを見事に継承した2代目首相からバトンタッチしたときに、国民は期待感よりも不安感を感じていたことは間違いありません。
2011年に実施された国会選挙では、国民の不満や不安が表面化して与党の得票率は史上最低まで落ち込み、初めて野党が議席を得ました。
この時リー首相が主導して、リー元首相から引き継がれた基本姿勢の軌道修正を始めます。さらに、「政府も社会と国民に合わせ変化していくべき」と述べ、多様な意見に適応し、開かれた政治システムへと漸進的に自由化していきます。
そしてリー顧問相(元首相)とゴー上級相が辞任し、その4年後の2015年にはリー元首相が亡くなり、古いシンガポールが終焉を迎えました。
リー首相の功績
リー首相は首相になった時に演説で「約束と機会に満ちたシンガポールのビジョンを描き、シンガポール人をそこに引き寄せるための政策を行う」と誓いました。
彼はその誓い通り、政治体制や社会の在り方を少しずつ変革していき、政府の独裁的な手法から自由化していきました。
また、彼自身も以前のインタビューで述べていますが、教育分野に対して多額の投資を継続的に行い、シンガポールを先進国へと導いていったことは、彼の最大の大きな功績でしょう。
先見の明のある現実主義
リー首相の20年間の政治と特徴としては、「先見の明のある現実主義」と言えるでしょう。彼自身も「政府はイデオロギー的ではない。われわれは現実的だ」とも述べています。
世界金融危機や米国と中国の対立の激化、ウクライナ戦争、コロナ禍や保護貿易主義の台頭など、シンガポールはより複雑化する世界に機敏に対応してきました。
彼は「不確実で、時には危険な世界において、シンガポールは常に小さな国であり続けるべき」そう述べています。
時には果敢に、そしてダイナミックに決断し、バランスを取り続ける、まさにシンガポールの社会の特長を生み出した、リー首相の20年だったと感じます。