クアラルンプール:地理的優位性がもたらす発展と魅の近代都市

マレーシア

マレーシアの首都クアラルンプールは、高層ビル群と緑深い豊かな自然が隣り合っている、東南アジアでも有数の国際都市です。 高速道路や鉄道などの交通インフラが整っており、ネット環境などの新たなインフラもものすごい勢いで整備が進んでいます。東南アジアの主要都市の中でも、極めて治安が良くて清潔な街です。

マレーシアの主要都市を順番に紹介していく「街紹介」記事の1回目は、私が10数年住んでいるクアラルンプール(KL)について紹介します。

マレーシアの首都、クアラルンプール:清潔で安全な街   

   著者:マレーシアgramフェロー Malay Dragon
公開日:2023年3月25日

連邦直轄領

マレーシアには13の州と3つの連邦直轄領があり、クアラルンプールは、その連邦直轄領の1つです。州ではないため伝統的な首長であるスルタンがおらず、アゴンと呼ばれる5年任期制の国王が王宮に住んでいます。

一般的にKLと略して親しみを込めて呼ばれ、 漢字表記は吉隆坡です。

気候は熱帯雨林気候で、常夏の気候で年間を通して降水量が多いですが、意外と住みやすく、豊かな緑でリフレッシュ感さえ感じられます。

名の意味

クアラルンプールの名は、「Kuala(合流点)+Lumpur(泥川)」というマレーシア語が語源となり、市中心部の最古のモスクが建っているクラン川とゴンバック川が合流して三角州を形作っており、そこがクアラルンプール発祥の地といわれています。

いったん雨が降るとまさに名の通り「泥の河」が勢いよく流れ、その名の由来を思い起こさせます。

歴史

1857年に錫鉱山が発見され、錫の開発拠点として中国人が開発したことからクアラルンプールの歴史は始まります。その後イギリスの植民地となり、第2次大戦中は日本が統治しましたが、戦後は再びイギリス領となりました。1957年8月31日にマラヤ連邦として独立、1974年にクアラルンプールがマレーシア連邦の首都に定められました。

現在、国の行政機能はクアラルンプール郊外のプトラジャヤに移転していますが、首都のままで、イギリス統治時代の歴史が残る古い街並みと超高層ビルが立ち並び、新旧の文化が調和している東南アジアを代表する近代都市です。

発展の理由

クアラルンプールが発展してきた理由は、まずその地理的な優位にあります。マレー半島の南部の丘陵地帯に位置し、天然の良港であるクラン港を抱えハブ港として好立地にあり、貿易と海上交易の絶好の位置であったことが発展の理由に挙げられます。

そのような好立地で豊かな水があったため、多くの人々が集い、さまざまな宗教と民族が交易とともに伝搬し、先住民族にマレー系、中国系、インド系などが居住して結びつき合い、各民族の言語や文化を尊重し合って多民族国家マレーシアの縮図にもなっています。この穏やかな多様性が発展の理由に挙げられます。

観光の楽しみ

クアラルンプールでの観光の楽しみといえば、観光地巡りよりも、多民族を反映したバラエティに富んだ食事がまず挙げられます。すべての料理が揃うフードコートがクアラルンプールの至るところにあり、安くておいしい料理を楽しめます。滞在中に必ず利用していただきたい、おすすめのスポットです。

見どころとしては、マレー鉄道のクアラルンプール駅から、独立宣言を行った広場であるムルデカ・スクエアまでは「オールドタウン」と呼ばれていて、イギリスの統治時代に建てられたムーア建築の美しい建物が点在しており、クアラルンプールの古い歴史を感じることができるエリアです。

一方、「ペトロナス・ツインタワー」は超近代的な高層ビルで、クアラルンプールの象徴ともいえる存在です。地上86階の展望台からみる眺望は素晴らしいの一言で、息をのみます。その中に大型ショッピングセンターがあり、テナントで伊勢丹や紀伊国屋書店などが入居しています。

さらに発展するKL

建設中のビル「ムルデカ118」は2014年着工し、今年完成予定です。高さは678.9メートルあり、これはドバイのブルジュ・ハリファに次いで世界で2番目に高いビルとなります。

尖塔が立ち上がっている独特のフォルムは、隣接しているムルデカ・スタジアムで、1957年に初代首相ラーマン氏が独立を宣言したときの右手を挙手しているのをイメージしたといわれています。

コロナ禍も乗り越え、多民族の融和と協調と一体感が強まった今、クアラルンプールのさらなる発展は間違いないと実感しています。

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