「創業者シリーズ」希少なコーヒー豆の栽培に挑む! My Liberica の挑戦 ①

マレーシア

この創業者シリーズでは、マレーシアを代表する創業者たちを紹介しようと思います。

第1回目の今回は、希少なコーヒー豆の種類である『リベリカ種』の栽培に挑戦している「ジェイソン・リュー(Jason Liew)氏」です。

若き創業者の果敢な挑戦や信念について、数回にわたって紹介しようと思います。

「創業者シリーズ」希少なコーヒー豆の栽培に挑む! My Liberica の挑戦 ①

   著者:マレーシアgramフェロー Malay Dragon
公開日:2025年1月17日

希少品種「リベリカ種」

リベリカ種は世界のコーヒー生産量の 1% 未満と言われているため、日本ではほとんど目にすることはありませんが、コーヒーベルトの属していて、知られざるコーヒー生産国であるマレーシアでは、コーヒー豆の生産量の実に90%以上を占めています。

世界で一般的に使われている『アラビカ種』とは違い、リベリカ種は風味に欠けるといわれますが、病害に強く、東南アジアの気候には適した品種なのです。

マレーシアでは、風味を増すために、豆を二度焙煎、しかも2回目の焙煎時に、コーヒー豆に、砂糖やマーガリンなどを加えて焙煎する方法を生み出し、マレーシア独特のコーヒー文化を醸成しています。

台湾の大学で農業を専攻

ジェイソン氏は、台湾の大学で農業を学んでいますが、その学科過程の一環として、コーヒーのテイスティングクラスに参加し、そこで豆の焙煎方法を学び、バリスタとしての技術も身につけました。

彼は次第にコーヒーへ情熱を抱くようになり、いろいろなフレーバーを試したりして、担当の教授に意見を求めたりしました。

卒業後、台湾で短期間働き、2年間のインドネシア派遣の後、マレーシアに帰国しました。

それは、農園を運営していた父親を助けるための帰国でした。

帰国後 コーヒー豆の栽培をスタート

帰国後、ジェイソン氏は父親の手伝いをしながら、果物や野菜、そしてコーヒーの栽培を本格的に始めました。

紹介したように、マレーシアはコーヒーベルトにありますが、アラビカ種の栽培は高地での栽培と水はけの良い土壌が必要で、マレーシアには高地が少なく、また、その限られた高地では高価な野菜や花の栽培が優先され、コーヒー栽培はあまり行われていません。

100年以上前に、リベリカ種がこの地域に導入されました。リベリカ種は低地での栽培に適しており、暑さや病害にも強いため、マレーシアの低地地域で広く栽培されています。

暑さや湿度などの気候条件、粘土質の土壌条件、そして標高が低いという立地条件を考えると、暑い気候に適応して、害虫や病気に強く、低地 や平地でも栽培できるリベリカ種の栽培をジェイソン氏は選択しました。

焙煎技術を試したい!

コーヒーの栽培を始めた後、彼は自分が大学で学んだ焙煎技術を実際に試してみたいと考えるようになりましたが、場所も設備もありませんでした。

そこで彼は、解決策として自分のコーヒーショップを開くことを思いつきました。

そして開業したのが、「マイ・リベリカ・コーヒー(My Liberica Coffee)」です。

当時、地元のコーヒーショップのほとんどは、伝統的なコピ(Kopi)(「コピ」とは「コーヒー」のマレー語の言い方)やコーヒーを提供していたため、『リベリカ種』からとるコーヒーに特化していた彼のカフェは、そのユニークなポジショニングですぐに注目を集めました。

ジェイソン氏によると、カフェの開店から6カ月目には利益も出るようになったそうです。

独自のコーヒー加工工場を開設

しかし、彼は『コーヒー豆不足』という新たな問題に直面しました。

当時、マレーシアではコーヒーを栽培するのは簡単ではなく、国内産だけでは供給が足りないため、豆を海外から輸入していましたが、そのためには許可が必要でした。また、このような事情があるため、マレーシアのコーヒー産業の大部分は、コーヒー豆を海外から輸入できる既存の製造業者や焙煎業者に限られていました。

ジェイソン氏は、豆を切実に必要としていた地元のコーヒー工場と協力して、輸入許可を取得しました。

しかし、地元の工場は効率を優先していたため、ジェイソン氏が求めるカスタマイズに応える余地はありませんでした。

そこでジェイソン氏は、自らが工程の多くをコントロールできるようにするため、独自のコーヒーの加工工場を開設することを決意しました。

彼はその時のことをこう述べました。「リベリカ種はこれまで伝統的な方法で加工されてきましたが、私たちはリベリカコーヒーをスペシャルティコーヒーにしたいと考え、カフェの経営を弟に引き継ぎ、自らコーヒー農園に戻って、自分のコーヒー加工工場を建設することにしました。」

コーヒー加工工場は何年も利益が出なかったそうで、そこで彼は、地元の加工業者がなぜ伝統的なやり方に固執するのかを理解しました。

順風満帆な年月が過ぎた後、「My Liberica Coffee」 は、最大の試練「コロナ禍」という大きな問題に直面するのです。

その後の経緯については、次回お伝えします。

Malay Dragon

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マレーシア・シンガポール在住のgramフェロー 経済上から時事ネタ、現地のマナーまで幅広く執筆。

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