マレーシアの非常に特異な立憲君主制とは

コロナ時代

6月6日はマレーシアの休日、そして国王の誕生日です。
実は、マレーシアの国王の誕生日は、この5年ほどの間に何回か日にちが変更になっているのです。
当時、筆者は勉強不足でその理由がわからず、ただ「不思議だなあ」と感じていましたが、理由はこの国の国王制度にありました。
マレーシアは非常に特異な君主制をしいています。
そこで今回の記事では、「マレーシアの君主制度」について説明します。

マレーシアの立憲君主制とは

   著者:マレーシアgramフェロー Malay Dragon 
公開日:2022年6月9日

君主が9人?

マレーシアには13の州があり、そのうち9つの州にスルタン(各州の世襲制の君主)がいます。
スルタンを置く国内9州の州王が持ち回りで5年ごとに国王(Agon アゴン)を務めます。つまりマレーシアの国王は、5年ごとに変わるのです。
現在の国王はパハン州の州王のアブドゥラ氏で、第16代の国王です。
マレーシアは1957年の独立以来、事実上の輪番制で王制をしいている世界で唯一の国なのです。

国王の権限

国王は、首相の任命や議会解散の同意、法律の裁可を行い、また、陸海空の3軍を統率しています。
国王と名付けられていますが、実権は首相と内閣が握っているため、名目上の行政の長になります。
しかし、マレーシアで多数派を占めイスラム教を信仰するマレー系民族は、国王を大変威信のある、伝統を支える存在とみなしています。
ですので、国王への侮辱と受け止められた批判には、禁錮刑が下される可能性もあるのです。

マレーシアの歴史と絶対権力を持つスルタン政治の確立

現在のマレーシアの起源となるのは、西暦1400年、スマトラ島(現在のインドネシア)を中心としたパレンバンの王族が「マラッカ王国」の建国を宣言したのが国の始まりといわれています。
マラッカ王国はマレー半島からスマトラ島の一部を支配し、マラッカ海峡に面した港市国家として繁栄しました。交易に有利な地点を占めたことから、マラッカ王国は周辺の海洋民族を従えていきました。
鄭和の来航でマラッカ王国での交易が盛んになると、ムスリム商人との交渉も活発になり、このころからイスラム教が急速に広がりました。1414年ごろ、国王ムラト・イスカンダル・シャーは初めてイスラム教に改宗し、国王はスルタン(サルタン)として統治するようになりました。スルタンの下に、世襲の最高司令官と大蔵大臣、侍大将、警察長官にあたる官僚制が形成され、多くの港市の外来商人や原住民の部族村落が管理されていました。
つまり、スルタンの独裁的ともいえる政務が行われていたのです。
その後、1498年、日本人にもおなじみのバスコ・ダ・ガマがインドのカリカットに到着して以来、ポルトガルのアジアへの進出が始まりました。
1511年にポルトガルはマラッカの王宮を武力攻撃し占領しました。マラッカ王は抵抗しましたが、王宮を逃れ、マレー半島の南を転々とした後、南端のジョホールにたどりつき、そこにジョホール王国を建てました。マラッカ王国はこうして滅びましたが、その後身のジョホール王国のスルタン位は現在のマレーシアでも継承されています。

国王の権威

2021年、当時のムヒディン政権の運営が行き詰まり政治が機能不全に陥った時、国王が異例の政治介入を行いました。この憲法上の権限を越えるとも捉えられかねない行動は異例でした。
予算案が11月に国会で審議される予定でしたが、野党連合や一部の与党議員の造反で成立しないリスクが浮上して、国王は新型コロナウイルスの感染拡大で悪化した経済の再生と国民生活を守るため、議員に「政争をやめ、予算案を妨害しないで承認する」よう求めました。
国王の権威が久々に現れたかたちとなりました。

立憲君主制:日本との違い

マレーシアの国王の誕生日祝日は、5年ごとに変わっては大変なので、毎年6月の第1土曜日とされていました。
2021年から、同王の任期中の国王誕生日は毎年6月の第1月曜日とする、と改正され発表されています。
現アブドゥラ国王の誕生日は7月30日ですが、6月6日が国王の誕生日祝日となります。
日頃はあまり感じることもないマレーシアと日本の君主のあり方の違いなどを、この国王の誕生日を機に改めて考えてみたいと思います。


 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter で海外情報ナビをフォローしよう!

関連記事一覧