軍事クーデターが起きたミャンマーのこれまでとこれから

ミャンマー

ミャンマーで軍事クーデターが起きた。ご存じであると思うが、ミャンマーで軍事クーデターが起きるのは今回が初めてではない。イギリスから独立し、軍事政権が続き、2011年の民主化までの間もクーデターのようなことは起きていた。欧米諸国が今回のクーデターで簡単に制裁を行えない理由が、近年のミャンマーと中国の関係性にある。国際社会は難しいかじ取りを迫られている。

軍事クーデターが起きたミャンマーのこれまでとこれから

著者:gram 福田 さやか 
公開日:2021年2月11日

国別概要情報 ミャンマー(Myanmar)

ミャンマーのこれまで

ミャンマーは1948年にイギリスから独立し、民主主義国家となったが、1962年にクーデターで軍が実権を握る社会主義政権が成立した。また、88年に民主化を求めるデモが盛り上がったが弾圧され、軍政が始まった。そこから長い軍事政権が続くが、2011年にテインセイン大統領に権力を譲った。テインセイン氏は軍政の元幹部で、国会の4分の1の議席を軍に割り当て、副大統領や国防、内務などの3大臣も軍が決められるといった、軍が政治に関わる仕組みは変えなかった。これ以降、民主化のプロセスが進んでいったのだが、実際には、2011年にテインセイン大統領に権力を譲るまでの間も、クーデターのようなことは起きていた。

軍事政権下において、穏健派であったキンニュン氏は、2003年8月、首相に就任。民政移管についての手順を発表し、自宅軟禁中の民主化運動指導者スー・チー氏との対話を行うなどした。また、軍政幹部の汚職疑惑にも着手しようとした。こうしたことから、軍政トップのタンシュエ氏ら保守派と対立し、2004年10月に汚職の疑いで首相を解任その後自宅軟禁された。

軍事政権下の状況

筆者は、軍事政権下の2001年に初めてミャンマーを訪れ、その後も繰り返し訪問をしたが、ちょうど、このキンニュン氏が軟禁された直後にも、ミャンマーに出張した。当時、IT系の教育案件の担当をしていたのだが、そのプロジェクトの視察に軍政幹部(大臣)がやってきた。その際には、ミャンマー人の担当者に「絶対本案件のこと以外は口にしないでくれ」と、かなりの気の使いようだった。また、当時、ブッシュ氏が大統領に当選した直後だったのだが、その担当者は、「ブッシュ氏が勝ったことは喜ばしい、この国が変わるには、ああいう強硬な政府が民主主義を強制しない限り無理だよ。そうしたら内乱や、内戦も起こるかもしれないけれど、それでもいい、国が変わるなら。私はそれで死んでも構わないよ。今はどうしようもない。」とこぼしていた。

国際社会とASEANの温度差

さて、クーデターが起きたミャンマーだが、国際社会の反応は一様ではない。欧米諸国は強い口調でクーデターを非難したが、国際社会の反応はさまざまである。特に、ミャンマーが加盟するASEANの反応を見てみよう。

シンガポール、ミャンマー、マレーシアは懸念を表明し、ベトナムは「状況を見守る」とした上で、「地域の平和、安定、協力のために状況を安定化させ、国を発展させてほしい」とした。タイ、カンボジア、フィリピンは「内政問題」とコメントしている。そもそも実はASEANの中で民主的に選挙が行われている国はインドネシア、マレーシア、フィリピンくらいであり、その他は一党独裁(シンガポール、カンボジア)や軍事色の強い政権(タイ)など、それぞれの事情もある。

更に、前回のクーデター後の期間は、中国がミャンマーに大接近し、かなりの影響力を持った背景もある。欧米諸国が経済制裁を実施していた1980年代後半から2000年代後半までの20年間、ミャンマーに急速に進出したのは、中国、インド、タイなどであるが、中でも中国は、天然資源が豊かであり、陸路でインド洋に抜けるルート上にもあるミャンマーに積極的に進出した。

圧倒的存在感の中国

民主化後は欧米諸国も投資を活発化させてはいたが、それでも、中国の存在感は圧倒的に大きい。IMFによれば、2018年段階で中国の対ミャンマー貿易額は圧倒的な世界1位である。ここで欧米諸国がきつい制裁を行なえば、ミャンマーを中国側へ押しやることにもなりかねず、国際社会は難しいかじ取りを迫られることになるだろう。


国別概要情報 ミャンマー(Myanmar)

福田 さやか

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gram パートナー&リサーチコンサルタント 【 経 歴 】 東南アジアに特化した高等教育支援NPO法人、慶應義塾大学大学院助教、国際会議支援会社、アジア専...

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