建国の父 リー・クアンユー元首相邸宅が歴史遺産に

シンガポールの建国の父、リー・クアンユー元首相の旧邸宅「38 Oxley Road」が歴史遺産として保存され、ヘリテージパークにする方針が決まりました。実はこの元首相の旧邸宅に関しては、家族間でどのように扱うべきかでもめていました。そして、このほどシンガポール政府が方針を定めたのです。
この記事では、20年前に駐在経験があった筆者ならではの視点も交え、このニュースを解説します。
(引用元:Preserving 38 Oxley Road site not about memorialising any single leader: David Neo – CNA
https://www.channelnewsasia.com/singapore/38-oxley-road-preserving-site-not-memorialising-any-leader-5449646)
建国の父 リー・クアンユー元首相邸宅が歴史遺産に
著者:シンガポールgramフェロー Malay Dragon
公開日:2025年 12月22日
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建国の父 リー・クアンユー元首相邸宅が歴史遺産に

この建物は1898年に建てられた2階建てのバンガローで、オーチャード通りの近くという一等地に位置しています。リー氏は1940年代から2015年に亡くなるまで暮らしていました。
ここは単なる元首相の家というより、シンガポールの近代政治の舞台となった場所です。実際、1950年代に人民行動党(PAP)の最初の会合が地下室で開かれており、内務省の規制で政治集会が禁止されていた時代、秘密裏に多くの議論が交わされた“伝説の地下ダイニング”は、今も語り草となっているのです。
保存の歴史的意義
近年はリー家の間でも、取り壊すか保存かで対立が続いていました。リー氏自身は『私の死後、取り壊されることを望む』と遺言に記していましたが、国民の間では「シンガポールという国家の原点であり、未来へつなぐべき“宝”だろう」という声も多くありました。2024年10月にリー氏の娘・ウェイリン氏が亡くなり、このほど政府が国定記念物として保存する方針を公式発表しました。
素朴な住宅
2000年代初め、私がシンガポール駐在員として暮らした時、この邸宅は現地の人々の間でも“静かな聖地”でした。ローカルの友人に案内されてそばを訪れた時、「ここが国を創った人の家だよ」と本当に誇らしげに話していたのを覚えています。
市内中心部にあるにもかかわらず、外見は豪華ではなく、看板や目立った表示などもなかったため、通りがかりの人が”建国の父”の家だと気づくことは少ないという話も聞きました。ただ、外部から見れば素朴な住宅ですが、内部はシンガポール政治史の重要な舞台でもありました。
遺言に反して保存を決めた政府の意図は
政府がこの旧宅を保存する方針を決定した理由は、主に以下の3つです。
1. 国家としての「記憶遺産」を残すため
政府はこの邸宅を”国の独立など、シンガポールの歴史的な瞬間が生まれた象徴的な場所”と捉えています。特に若い国家であるシンガポールが、国民の共通記憶やアイデンティティを次世代へと繋ぐシンボルとして残すことを重視しています。
2. 私有化・商業化を防ぐため
政府は「個人や民間企業による私的な売買で、リー・クアンユー氏宅を商業利用されたりする事態を防ぎたい」と説明しています。
3.国民の期待
世論では国家的資産として保存を望む声が高まっていました。特にシンガポールが世界的に観光・教育都市として文化発信に力を入れる時期と重なり、記念物化の流れが加速し、政府はこうした社会的な声を重視しました。
現地の“感覚”と未来への橋渡し
シンガポールがこの旧宅の保存を決めた背景には、未来への意思とともに、国の誇りと歴史に対する温かさがあります。国の原点をただ伝えるのではなく、訪れる人がこの空間に立つことで歴史を実感できる新しいスポットとして再生しようとしているのだと強く感じます。
街の活気と国民の静かな誇り、そして未来へのバトン――この邸宅は今、国民みんなの記憶遺産として新しい命を吹き込まれようとしているのです。





















