マレーシア「ルックイースト政策」の40年

コロナ時代

1982年に、当時のマハティール首相が「東方政策(ルックイースト政策)」を提唱して40年が経ちました。
この政策は、日本人の労働倫理、学習・勤労意欲、道徳、経営能力などが日本の発展の原動力であるとの考えの下、これらを日本から学ぶことで、マレーシアの経済・社会の発展を目指そうという試みです。
そして、この政策は日本とマレーシアの関係において大きな役割を果たすことになりました。
40年たった今、あらためてこの「ルックイースト政策」について解説します。

マレーシア「ルックイースト政策」の40年

   著者:マレーシアgramフェロー Malay Dragon 
公開日:2022年6月2日

なぜ「ルックイースト」だったのか?

なぜマハティール氏は、かつての宗主国でもありすでに経済発展を遂げている英国や、米国などの欧米諸国に範を求めなかったのでしょうか?
かつてマハティール氏は、第二次世界大戦で英国が日本軍にたやすく負けたことに驚き、また、訪日の際には、日本の戦後の急速な経済成長や人々の働きぶりを目の当たりにしました。行き過ぎた個人主義と道徳・倫理の荒廃をもたらす西欧的な価値観よりも、個人の利益より集団の利益を優先する日本の集団意識や労働倫理に学ぶべきであると提言しました。
これは同じアジア圏でも独自の伝統的価値観や文化を維持しながら近代化を果たし、西側と真正面から競争する日本や韓国にならい、独自のスタンスで自国の発展を目指したマハティール氏の強い信念とリーダーシップの表れでもありました。

「ルックイースト政策」を支える大きな柱

この政策を支える大きな柱の一つは、マレーシアから日本に留学生や職業人を派遣することです。
日本への留学を予定している学生たちは、マレーシアで予備教育を受け、日本語を学び、国費留学生として派遣されました。
実は、留学費用はマレーシア政府からの出費だけでなく、日本からのODAでもまかなわれていました。
日本のODAが、特定の国の学生の日本への留学費用に使われるというのは非常に珍しいケースで、確実に日本ファンを増やすことのできる活きたODAのかたちであると思います。
過去40年間で留学生8,000人以上を含む、約26,000人のマレーシア人が教育や訓練のために日本へ派遣されました。
留学生の多くは、帰国後マレーシアの政治や産業の担い手として、経済成長を支えています。

日本企業の進出

マハティール氏は、この政策を進めると同時に、税制を優遇することで日本企業を積極的に誘致しました。その結果、従来マレ ーシアに進出していた日本企業が、電気・電子産業を中心にマレーシアに追加投資を進めたり、関連企業の進出が進んだりと、製造業への日本からの投資が増加しました。現在、日本企業1,500社近くが進出し、マレーシア人40万人以上を雇用しています。
2021年には、マレーシアにとって日本は第4位の主要貿易相手国で、マレーシアの貿易総額の6.7%を占めており、前年比で20%の増加、貿易額は4.5兆円を記録しました。
マレーシアの日本への輸出額は、前年比20.3%増加の約2.26兆円で、主に電気電子機器、金属製品や天然ガス(LNG)を輸出しています。
マレーシアの日本からの輸入額は、19.7%の伸びを記録し約2.21兆円で、主要輸入品目としては電気電子機器、機械および部品そして金属製品があげられます。
(出所:マレーシア貿易開発公社 (MATRADE) データ)
ルックイースト政策は拡大を続ける両国間の協力関係の象徴なのです。

ルックイースト政策 2.0

マレーシア政府は、「ルックイースト政策 2.0」として主要3部門を掲げましたが、その中でも日本とは、「急速な変化の時代にマレーシアが発展するためには継続的な改善が必要で、これは、マレーシアの高等教育の国際化、Covid-19後の時代における持続可能な人的資本の開発、技術と知識の継続的な移転」部門で重要であると述べています。

まじめなマレーシア人

私の良き友人の中には、国費で日本に留学経験のある方が数人います。
彼らの共通点としてあげられるのは、非常にまじめであること、日本をよく理解し愛していること、家族や仲間を大事にすることです。
もはや、それは日本人以上、私以上では、と感じます。
今後も日本がマレーシアにとっての憧れの国、学ぶに値する国であり続け、両国間の良い関係が長く続くことを祈念します。


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