8月9日シンガポールのナショナルデー「独立記念日」

シンガポール

8月9日に独立57周年を迎えたシンガポール。
シンガポールでナショナルデーとは独立記念日のことで、毎年国を挙げて盛大に祝われる一大イベントです。
今年は3年ぶりに、マリーナベイの水上プラットフォームで大々的にイベントが開催されました。
7月に入るとHDBと呼ばれる公共住宅窓から多くの国民が国旗を掲げ、ずらりと並んだ国旗は壮観です。シンガポールならではの光景もいえるでしょう。
(この国旗は、掲げられる期間が9月30日までと決まっており、期間を過ぎると罰金が課されるのもまた「罰金都市」シンガポールらしいところです)
そこで今回の記事では、シンガポールの独立記念日について解説します。

8月9日シンガポールのナショナルデー「独立記念日」

   著者:マレーシアgramフェロー Malay Dragon 
公開日:2022年8月9日

建国後57年で大発展

建国からわずか57年のシンガポール。
国土はシンガポール島と約50の小島で構成され、約719平方キロメートル、東京23区をやや上回る程度の大きさです。
国としての歴史も浅く国土も小さなシンガポールですが、スイスの国際経営開発研究所国際競争力ランキングで第3位、世界銀行が発表しているビジネス環境のランキングでは第2位など、各種のランキングで常に上位にランクインする先進的な都市国家に発展しています。

独立の経緯

1945年日本の敗戦で、シンガポールは再び英国による植民地統治が再開されます。その後独立運動の機運が高まり、1963年にマレーシア連邦の一部となります。しかし、マレーシアは英国植民地時代に生じた民族間の経済格差を補正すること、先住民族の権利を保証することを優先し、マレー人と華人の平等政策を進めようとするシンガポールとの間に軋轢が生じ、このような対立が暴動につながるほどに激化。同じ国にいることが危険であると判断され、1965年8月9日、マレーシア連邦から追放される形でシンガポールは都市国家として分離独立しました。

涙の独立声明

独立を国民に伝えるテレビ演説で、シンガポールの建国の父リー・クアンユー氏は涙を流しました。それはシンガポールの独立は望んだものではなく、マレーシアから追放される形での分離だったからです。悲しみ、悔しさ、怒り、不安と絶望で涙し、そして独立への強い想いを国民へ伝える涙の演説でした。
その様子は国立博物館で動画で展示されており、YouTubeでもみることができます。
一国を背負った彼の演説は、どの言葉にも重みとエネルギーを感じ、強い感動を覚えます。
『There is nothing to be worried about. Many things will go on just as usual. But be firm, be calm. We are going to have a multiracial nation in Singapore. We will set the example. This is not a Malay nation, this is not a Chinese nation, this is not an Indian nation. Everybody will have his place. Equal. Language, culture, religion.”(意訳:心配することは何もない。すべてはいつも通りに行われる。この国はマレー人の国でも中華人の国でもなくインド人の国でもないみんなに平等な国であり、私たち自身がその見本を示すのです)』
*参考動画名:
  What LKY said after he broke down in 1965 during the Separation from Malaysia.
なんとも力強く、示唆に満ちた言葉でしょうか。

踏襲される彼の理想

彼のこの建国の精神は未だに踏襲され続けており、シンガポールの特徴になっています。
シンガポールは、地理的には東南アジア各国へのアクセスが良く、公用語が英語であるという利点があり、法人税が低くビジネスがしやすい国ランキングで常に上位になる、ビジネス視点からの魅力もその強みですが、やはりリー・クアンユー氏の理想にもある通り、民族、言葉や文化、宗教の違うすべての人々が自由に平等に暮らしていける国だからこそ、小国でありながらこの成功を収めているのだと、あらためて強く感じます。


関連記事一覧